アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

死際こそが人生の集大成だと思うのです。

 

人生は、何が正解で、何が成功か、

なんて分からない。死ぬまでは。

私はそう思ってる。

 

自分の人生どうなったら、死際で、

生きてて良かったと思えるかと考えた。

 

お金の心配が無く暮らせたら?

健康で百歳まで長生きしたら?

無病で老衰で死ねたら?

 

どれも違うと思う。

人の人生の価値は、

お金じゃ無いし、

生きた長さじゃ無いし、

病気の有無でも無い。

 

人の人生の価値は、

死際に心の底から泣いてくれる人が

1人でもいたかどうかだ。

 

1人でも、100人でも、

身内でも、友達でも、

「●●●が亡くなって悲しい…」と、

自分の死を心から悼んでくれる人がいれば、

その人の人生は、生きる価値があったもの

だと言って良いと思う。

だって、少なくともその人は、

自分の事を欲してくれていたって事だから。

 

憎まれて、恨まれて、

誰にも必要とされず、

死んで当然と言われなければ、

その人が生きた価値は、

ゼロではなかったと思う。

 

よくセクシャルマイノリティーの人は、

「自分は生きる意味が無い」と口にする。

 

人は生まれた瞬間から、

生きる意味がある訳では無い。

 

家族のため、子どものため、社会のため、

環境保全のため、世界平和のため、

なんでも良い適当な理由を作って、

生きる意味を自分で作っているんだと思う。

生きる意味なんて大体後付けなんですよ。

きっと。

 

ただ生きる意味を見出すために、

無理に四苦八苦する必要は無い。

 

肩の力を抜いて、

何となくボーっと生きてきたつもりだけど、

実は何かやってる些細な事が、

自分のため、誰かのためになっていて、

それが後々振り返ってみたら、

自分の生きる意味だったのかも知れない…。

位の事が本当の意味での、

「生きる意味」なのかも知れない。

 

そういう意味で、

私はこのブログを通じて、

勇気づけられたり、

励まされたりする人が1人でもいる事実が、

私の「今の生きる意味」なのかも知れない。

 

私はブログの読者に生かされてます。

ありがとうございます。

この場を借りて、御礼申し上げます。m(_ _)m