アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

自分に甘く、他人に厳しい、自己愛マザー

 

自己愛マザーは、

スーパーのパートは、

半年も続かなかった。

 

でも自分の子どもには、

超スパルタで有名なスポーツを習わせて、

泣きながら「行きたくない!」と訴えても、

「休んだら駄目!」と行くように促した。

 

 

自分には甘く、

他人には厳しい、

自己愛マザー。

 

 

子どもの習い事は、通う所全てスパルタ。

 

スパルタな習い事にぶち込んでさえおけば、

素質がなくても、一定の成果は出るだろう、

という恐ろしい思考を持つ自己愛マザー。

 

自分自身で、努力して結果を出そうとせず、

自分の子どもに、死ぬ物狂いの努力させて、

結果だけは、横取りをする自己愛マザー。

 

「全国1位になった優秀な子の育ての親」

「TVでスーパーキッズと紹介された子の親」

「金の卵とオリンピックを期待された子の親」

 

習い事先への車の往復の送迎と、

親の気まぐれな食事の提供さえすれば、

輝かしい功績を残してくれる便利な子。

 

 

自己愛マザーが子どもを産んだ理由は、

子どもが好きで、欲しいからでは無い。

ただ自分の欠損感、不足感を埋めるため。

 

 

自己愛マザーを輝かせる道具(照明)として、

幼児期から酷使させられ続けた我が人生。

 

それに気づいて、全ての習い事を辞めて、

普通の子どもに戻れた事は不幸中の幸い。

 

医学部9浪の事件などの教育虐待の

ニュースを見る度に、私は心が痛む。

 

 

家庭内という親子の密室の空間で起こる、

教育やスポーツ虐待は見過ごされがちだ。

 

 

心理的な虐待は、目に見えない。

体にアザやキズは出来ないが、

子どもの幼い心の中には、

無数のアザやキズがあるが、

誰からも気づかれない虚しさ。

 

 

子どもの頃にできたそのアザやキズは、

いつか違う形で、必ず表面化するだろう。

不登校や、引きこもり、人格障害PTSD

依存症、精神疾患など様々な形となって。

 

 

普通の子どもの母親となってしまった、

自己愛マザーは、さぞ悔しかっただろう。

 

自分を輝かせる照明のライトが消えれば、

自分は暗闇の舞台の上で人目に映らない。

 

せいぜい残りの少ない人生の中で、

自家発電する方法を探し出して、

自分で自分自身を照らして下さい。

 

オープンダイアローグ〜薬なしでの回復〜

 

現在では、まだ心療内科や精神科では、

薬物療法】が主流、一般的だが、

残念ながら【薬物療法】だけでは、

お薬を飲み続けなければならず、

完治・寛解することは難しい。

 

私個人の意見としては【薬物療法】だけでは、

メンタルの回復は、難しいと思っている。

カウンセリングなどの【精神療法】も

並行して受けることをおすすめしたい。

 

そんな中《オープンダイアローグ》

という、新たな可能性に出会った。

 

薬物療法】に抵抗を感じている人や、

薬物療法】以外の可能性を探している人は、

Daniel Mackler氏の以下の動画を見てほしい。

 

「精神科治療薬から離れる:こころの集い」

https://youtu.be/x8IH97UKGSA?feature=shared

 

「開かれた対話ーオープンダイアローグ」

https://youtu.be/_i5GmtdHKTM?feature=shared

 

「癒しの家 薬なしでの精神病からの回復」

https://youtu.be/zkvh1SknvrI?feature=shared

 

統合失調症についてのドキュメンタリー

(薬なしでの回復)」

https://youtu.be/NMA2mAsIJns?feature=shared

 

人は人に傷つけられるが、

また人は人に癒される。

 

この言葉の通り、人を癒すのは、

薬ではなく、人であると私は思う。

 

《オープンダイアローグ》は、

フィンランドの西ラップランド地方で、

実践されている治療的介入の手法だ。

 

日本でも筑波大学の教授で精神科医

斎藤環氏が千葉県船橋市にある

「あしたの風クリニック」(完全予約制)で、

既に《オープンダイアローグ》を用いた

精神的なケアの実践に取り組まれている。

 

都内では、森川すいめい氏が勤務している

東京都豊島区の「ゆうりんクリニック」の

精神科で、《オープンダイアローグ》

を実践している。

 

フィンランドでしか実践ができないと、

思っていたが、日本でも実践されていて、

既に【薬物療法】以上の効果や結果を、

実感されているという事実に希望が持てた。

 

《オープンダイアローグ》が保険適用され、

多くのクリニックで実践されるようになり、

精神疾患のケアの主流となっていき、

多くの患者さんが救われることを切に願う。

 

家族離散という選択肢

 

家族は仲良く、助け合い、支え合う存在。

このような一般的な《型》にはまった

古く昔ながらの考え方が未だ根強い日本。

 

しかし、家族の崩壊を既に実感していて、

もうどうしようもない状況に陥った場合、

《家族離散》する事も選択肢の一つと思う。

 

家族の誰かが精神的に病んでしまったり、

実家に引きこもったりしている場合、

その原因は、夫婦の仲が冷めきっていたり、

母親・父親と祖父母の仲が昔から悪かったり、

実は病んでる子自身が病んでいるではなく、

その周りの家族関係が病んでいる場合がある。

 

個人・単体の問題ではなく、

家族全体・家系に問題がある場合、

《家族病理》《家系の病》と表現する。

 

病んでしまった子・引きこもった子は、

実は普通の優しい子で、ただその家系で、

何代にも積み重なって放置された問題を、

たまたま家族の一人であるその子どもが、

精神的な病気になる事で、あるいは自宅に

引きこもることで、根深い《家族病理》を、

表面化させ、周囲に必死に訴えかけている、

そんなケースも実はあるのだ。

 

しかし《家族病理》を理解しない外野は、

「いつかまた仲良くひとつ屋根の下で、

家族で暮らせるようになると良いね!」

「家族なんだから、これからもみんなで

支え合って、生きていけば良いさ!」

などと無責任で、無知な発言をしてくる。

 

しかし、何世代にも積み重なってきて、

放置され続けた《家族病理》という病は、

家族全体が病的な状態に毒されているので、

病的なある一人がどうにかしようとしても、

根本的に解決することはほぼ不可能に近い。

 

目新しい汚れは、すぐに拭き取れば、

容易に落ちるが、何年・何十年も、

放置され続けた汚れは、時すでに遅し、

落とそうとしても中々落ちる事が無い。

 

そういう時は、キッチンを専門業者に

頼んで、完全リフォームするように、

根本・根底から見直すことも必要だ。

 

《家族病理》が根強い悪しき家系は、

家族同士で無理矢理解決しようとすると、

時には悲劇的な結果を招きかねない。

 

病的な状態に毒された家族の一人一人が、

外部の、専門的な、第三者の力を借りて、

それぞれ病的な状態から脱していくしかない。

 

病的な状態から完全に脱する時とは、

家族達がまた再集合するのではなく、

家族が物理的に、経済的に、

そして心理的にそれぞれ自立し、

家族離散する時だ。

 

根深い《家族病理》がある家族・家系は、

病的な状態に毒された人間の集合体だから、

集まる事でまた病的な状態に戻ってしまう。

 

《家族離散》の苦渋の決断が、

家族一人一人の本当の幸せ、

家系全体の未来の幸せのために、

必要な場合もきっとある。

 

周りの無責任で、無知な、

型にはまった大人の言葉に

惑わされてはいけない…。

自己愛マザーにとっての子育てとは?

 

自己愛マザーにとって、

子育ては《地獄》。

自己愛マザーの子どもに

とっても《地獄》。

 

自己愛マザーは、大人になっても、

自分が他者から沢山愛されたい、

自分が他者から褒めてもらいたい、

自分が他者から認めてもらいたい、

と未だに願っている。

 

しかし自己愛マザーの子どもは、

僕は親から沢山愛されたい、

僕は親から褒めてもらいたい、

僕は親から認めてもらいたい、

と当たり前の欲求を抱えている。

 

どちらもwant-wantで、欲しがる同士の関係。

与える側の立場の人間がそこには存在しない。

自己愛マザーもその子どもも、

常に欲求不満、愛情に飢えた砂漠地帯。

 

 

自己愛マザーは、

《無償の愛》を子ども与える事が出来ない。

want側の人間だから見返りを常に求める。

返済不要の奨学金ではなく、

返済必要且つ利子が付く奨学金に近い。

 

これだけ私がやってあげてるんだから、

これ位の見返りがあるはずだと期待して、

子どものwantに仕方なく応じるのだ。

 

 

子どもに将来返済可能な能力が見込めれば、

自己愛マザーは子どものwantに応じ続ける。

将来の返済の見込みが大きければ大きいほど、

子どものwantに応じる頻度も増えていく。

 

しかし、子どもに返済可能な能力が将来的に

見込めない…となると、自己愛マザーは、

その子どもを見限り、wantには応じなくなる。

見込みのある子どものwantに絞り、応じる。

 

お金の返済能力の無い人間には、

お金を貸さない銀行のように、

返す見込みが無いなら貸さない。

子どもを見定めて、切り捨てる。

 

なぜなら、自己愛マザーには、

《無償の愛》という単語自体が、

その人の辞書の中には無いからだ。

 

 

自己愛マザーの子ども達は、

生まれてから《有償の愛》を受け取り続ける。

はじめはそれが《無償の愛》ではなく、

まさかの《有償の愛》だと気づかずに…。

 

《無償の愛》が実は《有償の愛》だと、

気づいた頃には、15〜20年の利子付きの

莫大な奨学金の返済が待ち構えている。

 

自己愛マザーに「今までの僕への愛は、

《無償の愛》だよね?」と尋ねても、

「ここまで誰が育てたと思っているんだ!」

「今までお前を育ててやった親に対して、

 感謝の気持ちのかけらもないのか!」

などと子ども達を非難し始めるだろう。

 

自分に対してメリットがなく、

見返りが無い要求には応じない。

例えその相手が自己愛マザーの

子ども達であったとしても…。

 

自己愛マザーからの《有償の愛》に

気づいたら、夜逃げレベルで、

逃げ出す位の強い決意と覚悟をもって、

貸し借りの関係から早く脱する必要がある。

 

そもそも親からの愛に、返済義務は無い。

give&giveのみ、give&takeの関係は無い。

その《有償の愛》は、偽りの欺瞞的な愛だ。

 

蛙の子は蛙

 

親の過度な期待は、いずれ子を病ませる。

 

蛙なのに、白鳥になることを切望される。

凡才なのに、天才になれと強要される。

平凡にただ毎日を生きたいだけなのに、

非凡に生きる事を無理に強制される。

 

米国の心理学者デヴィット・シーベリーが、

全米で1万人を超える悩みを抱えている人
の話を聞いてまわったら、彼らにはある、

《共通性》があることに気がついたそうだ。

 

その《共通性》は、

「I'm not like that.」

「私はそういう人間ではありません。」

この一言が言えない…ということだそうだ。

 

逆に、この一言を言える勇気を持てれば、

人生をより自分らしく、自分自身の意思で、

自分のために、生きていくことができる。

 

私は、あなたの求めている理想像とは違う。

私は、あなたの期待している人物とは別だ。

私は、私という、唯一無二の個性ある個だ。

 

背負う必要のない《他人の過度な期待》

という重い荷物は1個、1個おろそう。

 

 

 米国の心理学者デヴィット・シーベリーは、

人間の唯一の義務は、自分が自分であること

と述べている。

 

常に周りの期待に応えて

今まで生きてきた人は、

自分は何が好きなのか、

自分は何がしたいのか、

自分は一体何者なのか、

が本当に分からなくなる。

 

だから、まずは自分が自分に

心の奥底にしまった《本音》

を常に聞いてあげる習慣を

身につけていく必要がある。

 

「親が」でもなく、

「家族が」でもなく、

「友人が」でもなく、

「私は」を主語にする。

 

あなたは、あなたのありのままでいい。

あなたは、一度きりのあなたの人生を、

あなたが生きたいように生きれば良い。

 

自分以外の誰かのために、

自分じゃない誰かを演じて生きる、

偽りの人生の舞台から降りる勇気を持とう。

「楽」を選択した人の末路

 

その時にしなければならない苦労を避けて、

その瞬間の「楽」を選択した人は、

その先でそれ以上の苦労が待っている。

 

私の母親だった《自己愛マザー》は、

いくつもの「楽」を今まで選択してきた。

 

その結果現在は、今までの何十・何百倍もの

「苦労」が自分・家族に返ってきている。

 

初婚に失敗し、離婚して、

気晴らしに旅行に訪れた時に、

飲み屋で再婚相手の父親に出会った。

 

父親は、一代で財を成した社長だった。

バブル期で、景気が良かった時代でもある。

母親は「運命の人!玉の輿!」と飛びついた。

離婚して1年経たない内に、父親と再婚した。

しかも父親と母親は、

ふた回り以上も歳が離れていた。

これが先の苦労につながる

「楽」の選択の始まりだ。

 

ここまでの話なら、まだ、

そのバブルの時代を生きた女性の

一つの幸せを掴む選択肢として、

どこにでもあり得た話ではある。

 

しかし、再婚と同時に父親の病気が発覚する。

再婚時点で、父親が病気を把握していたのか、

再婚時点で、母親が病気を認識していたのか、

その点は、不明なのだが、再婚してすぐに、

子どもをお腹の中に授かっていた状況だ。

これが「楽」を選択した人の苦労の1つ目。

 

社長夫人になって、一生安泰と思った矢先、

なんて可哀想な《悲劇のヒロイン》と思うが、

ふた回り以上離れた人と結婚するという事は、

「病気・介護」が遠い先の話では無いという

デメリットを理解した上で、決断したはずだ。

いつか来るはずの近い将来が

思いの外、早く現実に訪れただけなのだ。

 

子を身ごもりながら、

中高齢の父親の看病をしなければならない。

まさかこんな悲惨な事態になるとは、

再婚当初、誰が想像できただろうか…。

 

 

そして再婚してほどなく出産、

数年後に、父親は病気で他界した。

生涯ワンオペ、地獄の育児の始まりだ。

専業主婦で、ほぼ働いた経験がない母親は、

パートなど働きには出ず、今の「楽」を選択。

 

当然、自分が働いて稼いだお金では無いので、

湯水のように、父親の残したお金を使った。

残された遺産の切り崩しのスタート。

収入ゼロで、支出だけ毎月発生する地獄。

いくらお金があっても、いつかは底をつく。

これが「楽」を選択した人の苦労の2つ目。

 

私の母親だった、《自己愛マザー》は、

子どもはただの道具、本当の愛情は無い。

だから出産直後〜園に通わせるまでの間は、

育児の苦労に向き合わずに、「楽」を選択。

よくベビーシッターに子を預けていたという。

(たまに預けるではなく、預け過ぎるレベル)

 

《三つ子の魂百まで》といわれるように、

乳幼児期の親子の関わりは大変重要だ。

乳幼児期の子どもの「心の発達」には、

特定の養育者との愛着形成が必要不可欠だ。

 

愛着障害になると、子どもは、情緒面や、

対人関係で、いずれか問題が発生する。

愛着障害は、大人になっても続く事もある。

これが「楽」を選択した人の苦労の3つ目。

 

このような「楽」の選択の積み重ねの結果、

人生の終盤に、苦労の連続が待ち受けていた。

今までずっと「楽」を選択した人間の末路だ。

(いつかその苦悩についても語りたい。)

 

私は母親だった《自己愛マザー》から、

人生の反面教師として、

●「本質的な幸せ」は簡単には手に入らない

●「今」その小さな苦悩に向き合わなければ、

 後からより大きな苦悩となって必ず現れる

●「自分」が欲しい!と切に思った物事は、

「自分」で努力して、「自分」で手に入れる

以上の人生の教訓を学んだ。

過保護の親

 

親の子に対する虐待、ネグレクトなどは、

一般的に良くないことは認識されている。

 

しかし、親の子に対する【過保護】は、

良くないことはそれほど認識されていない。

 

「あの親は、子どもに誰よりもたっぷりの

愛情を注いでいる」「あんなに子に関わって

あげていて凄い」と周りから言われたりする。

 

親の【過保護】が虐待・ネグレクトと同じ位、

子どもの成長に悪影響を与えるとも知らずに。

 

親がいなくても子が生きていけるよう育てる。

本来は子どもを自立させるのが、親の役割だ。

 

ではなぜ一部の親達は、

子どもに対して【過保護】になるのか?

いろんな理由・背景があるとは思うが、

今回は主に以下の3つを取り上げてみたい。

 

1【親の自分が心配】

「子どもに何かあったら、親の私が困る…」

「子どもがもし失敗したら、親の私が辛い」

などと、《子どもの果敢な挑戦》よりも、

結果がもし悪かった時にその結果を共有する

《親の自分》に意識が向いてしまうのだ。

 

そのため、子どもの挑戦自体をやめさせたり、

子どもの挑戦を親が代わりに半分もやったり、

子どもの挑戦を先回りして過度に手伝ったり、

子ども一人で挑戦する機会を奪ってしまう。

 

2【子どもを信じて待てない】

過保護の親は、子どもの能力を信じていない。

はじめは、悪戦苦闘・四苦八苦していても、

実は段々とできるようになっているのに、

この子にまだこれはできないと思ってしまう。

 

今はまだ出来ていないことも、

いつかできるようになると信じて、

じっと堪えて待つことが出来ない。

 

そうすると、

「ママ、パパは、僕を信じてないんだ…」と、

その態度・姿勢は、子どもに伝わってしまう。

 

その養育者の態度・姿勢が子どもに伝わると、

子どもは「自分はどうせできないんだ」と、

自分自身を信じることが出来なくなるのだ。

 

3【親が子離れできていない】

個人的にこの理由が一番根が深い…と思う。

 

どんな家庭でも、心身の成長とともに、

子どもが親から少しずつ離れていくのは、

自然な事であり、大変喜ばしい事である。

 

しかし、

表面的には子どもの挑戦・自立を応援しても、

自立されては困る…と無意識に思う親がいる。

 

子どもが自立していくということは、徐々に

親を必要としなくなるということでもある。

 

家庭・子育て・子どもの中でしか、

「生きがい」を見出せない親(家庭依存)は、

「子の自立」=「生きがいの喪失」になる。

親にとっては、【生死の問題】とも言える。

 

だから、子どもの自立(挑戦の成功)を、

表面的には喜んでも、心の底から喜べない。

 

それを子どもは、敏感に繊細に感じ取って、

「あれ?ママ、パパ、喜んでくれていない」

「できた!けど、できちゃ駄目なのかな…」

と思ってしまうのだ。

 

 

1【親の自分が心配】

2【子どもを信じて待てない】

3【親が子離れできていない】

このような理由で、親が過保護に育てると、

子どもは将来どうなってしまうのだろうか。

 

子どもの自立に向けた挑戦機会を奪われると、

「自分でできた!」の成功体験を得られず、

「自分一人でできるのか」が分からなくなり、

「自分一人でできるか不安」になってしまう。

 

そうすると、

新しい環境に飛び込むのが怖くなり、

新しい物事に挑戦する勇気が持てず、

子どもが自立出来なくなってしまうのだ。

 

 

では、自分が子に《過保護な親》だと気づき、

その理由が分かったときどうしたら良いか。

 

解決の鍵は、親自身の中にある。

子どもとの関わり方の改善以上に、

親自身の持つ課題ときちんと向き合い、

自分自身の生き方を変えていく必要がある。

 

【親の自分が心配】な親は、

親として子どもを心配しながら、

実は自分自身の心配をしていて、

「心配」という言葉を利用して、

子どもの貴重な挑戦に介入することで、

作為的な《成功》に身勝手に子を導き、

支配・コントロールしようとしている。

 

「子ども」と「子どもの挑戦の結果」は、

親が恣意的にコントロールすべきではない

という当たり前の事を自覚する必要がある。

 

そして、 子どもと親の《課題の分離》をして、

この挑戦(人生の課題)は、

どんな結果であれ、その結果を受け取るのは、

挑戦者の子ども自身(子の課題)であり、

親のあなたでは無い事を自覚する必要がある。

 

【子どもを信じて待てない】親は、

親の自分自身を信じていないから、

その子どもも当然信じていないのだ。

自分を信じている人は、

他者を信じられる。

自分を信じていない人は、

他者を信じられない。

だから、まずは親の自分を

無条件に信じることから始めよう。

そうすれば、自分の子もいつかは、

同じように信じられる日が来るはずだから。

 

【親が子離れできていない】親は、

子どもを通して、自分を生きるのではなく、

子の母親として、自分を生きるのではなく、

私個人として、自分を生きる必要がある。

 

「生きがい」は、

他者の誰か中に見いだすのではなく、

自分自身の中に見いだすものである。

 

私以外何も無いそのシンプルな世界で、

私が生きる「生きがい」を見つけて、

自分の足で歩いて、生きていく必要がある。

子どもへの依存から脱出する必要があるのだ。

 

この1・2・3の理由、全て当てはまるのが、

欺瞞的な愛で、過保護に育てた私の母親だ。