アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

人を許す事の難しさ

 

許す心。

 

この世で一番難しい事。

それは許す事。

 

ぶつかってきたけど、許す。

横入りされたけど、許す。

お金を返してもらってないけど、許す。

昔いじめられたけど、許す。

 

怒る事ほど簡単な事は無い。

許す事ほど難しい事は無い。

 

ドキュメンタリーの特集で、

大切な家族を殺された被害者が、

加害者や加害者家族を恨んで責め、

一生追及し続ける様子を目にする。

 

大切な家族の命が奪われたのだ。

加害者を恨むも良し、責めるも良し、

殺された家族の無念を晴らすため、

究極その加害者を報復で殺したって、

世間からはそう非難はされないだろう。

 

加害者とその家族を

許さず恨み追及し続ける事は、

被害者家族が行う事として、

一番反射的なパターンだろう。

 

怒る事は誰にでも出来る事である。

怒る事で、

行き場のない、言い知れぬ溢れる

感情に行き場を与えてくれるからだ。

 

 

しかしあるドキュメンタリー番組で、

9.11の被害者家族の一部が、

テロを実行した加害者の家族と、

直接お互いを悼み合うシーンを見た。

 

本来なら顔を合わせる事すら嫌がるはずの

全く立場が逆な被害者家族と加害者家族。

 

はじめからすぐ和解できた訳では

無いのかもしれないし、

ある程度の長い時間や互いの努力が

必要だったのかも知れないが、

被害者家族は、加害者家族と一緒に、

自らに降りかかった深い悲しみを

お互いに共有し、悼み合っていた。

 

 

許す事は誰にでも出来る事では無い。

許す事で、

行き場のない、言い知れぬ溢れる

感情の行き先が無くなってしまうからだ。

 

 

加害者本人を許す事は不可能かもだが、

加害者の家族を許す事も実に困難だ。

それが出来る少数の被害者家族に対して、

言葉では言い表せない敬意を抱いた。

 

被害者家族は、深い悲しみの感情を

どこにしまい込んだのだろうか…。

 

彼らはその感情を引き出しに

しまい込んだのでは無く、

深い悲しみから生まれるエネルギーを

向けるベクトルを変えたのだ。

 

被害者家族は、このテロをきっかけに、

報復戦争賛成ムードが高まる

自国の大統領や、国民、世界に対して、

「暴力と報復は解決にならない。

争いが続くだけだ。」

と訴え続けたのだ。

 

加害者を法廷で裁くだけに留まらず、

新たな死・犠牲者を生み出さないために、

大統領宛にに直筆の手紙を出すなどして、

次なる未来の犠牲者を出さないために、

尽力したのである。

 

事件の真相究明のためや、

加害者の自省を促すためにも、

加害者の過失を追及する事も、

必要な通過点だと思う。

 

しかし、恨み、責め、追及する事で、

被害者や被害者家族が得られる事は、

実はそこまで多く無く、

時間や精神が削られる事が殆どだ。

案件が凶悪犯罪になれば尚更だ。

 

過去の加害者の過ちに対して、

何かをする以上に、

未来の被害者を生み出さないために、

何ができるかを考え、実行していく。

後者の方が重要な観点だと思う。

 

「そんなん、経験が無いお前の話に、

説得力なんかある訳ないやん!!」

と思われるだろうが、私もある時、

加害者に殺めかけられた経験がある。

 

はじめは加害者を恨み憎んだ時期もあった。

しかし加害者を追及してもどうしようも無い、

過去の起きてしまった事象は、

何も変えられない事実にふと気付いた。

 

それからは「今後同じような事が

世の中で起きないようにする為には

どうすれば良いか?」

という思考に行き着いた身なので、

この文をここに記しました。

 

まさに今被害者当事者である方や、

その被害者家族の方々には、

理解されない考え方かも知れないが、

私はこの思考に辿り着きました。

 

過ちが繰り返されないために、

ちっぽけな私が出来る事で、

尽力していきたい。

 

世界が平和であれ、

そう願う毎日です。