アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

非性愛の自分を受け入れられたきっかけ

 

自分がありのままの自分自身を

受け入れられるようになったきっかけ。

自分が等身大の今の自分に

良い意味で諦めがついたきっかけ。

 

そのきっかけは、坂元裕二さん(脚本家)

の作品との出会いが大きいかも知れない。

 

脚本家の坂元裕二さんの最近の作品は、

「生きづらさを抱えた人」

「多数派ではなく少数派」

のために書いていると、

NHKのプロフェッショナルで

ご本人が語っていた。

 

「anone」「カルテット」

それでも、生きてゆく

など2010年以降の作品の多くは、

光では無く、影で生きる人を取り上げている。

 

しかも影で生きる人達へ

「それでいいんだよ…」

「そのまま生きてて良いんだよ…」

と存在を肯定的に思わせてくれるシーンや

言葉が随所に散りばめられている。

 

特にカルテットの第3話で
「泣きながらご飯食べたことがある人は
生きていけます。」のセリフは、

人肌を感じる程暖かかった。

 

影でひっそり孤独に生きていた私は、

「あぁ…泣きながら飯食ってる奴って、

私1人だけじゃ無いんだぁ」って思えたし、

「他にも私みたいな人がどこかにいるんだ」

「この経験があるからこそ生きていけるんだ」

って思えた。

 

坂元裕二さんは、

同じくNHKのプロフェッショナルで、

「10元気な人が100元気になる作品は沢山ある。僕はマイナスにいる人がゼロになる。そこを目指してるから。」

と述べていた。

 

まさに私みたいな人間は、

マイナスが更にマイナスにならないように、

日々四苦八苦していた時で、

アンハッピーがいきなりハッピーに

ひっくり返るなんて劇的な変化は望んで無くて…

アンハッピーがこれ以上アンハッピーに

ならないように日々祈ってた身だった。

 

そんな時、坂元裕二さんが作品を通して、

影に生きる人達に敢えてスポットライトを

当ててくれて、その人なりに全力で必死に

生きている姿を暖かく肯定的に描いてくれて、

気持ちがふっと軽くなって、

何か救われた気持ちになった。

 

以前触れた是枝監督も然り、

そんな人にエネルギーを与える作品・監督は、

本当に偉大だと思う。

 

世の中は、全然平等なんかじゃ無い。

スタートラインはみんなバラバラだ。

産まれながら持っているものもバラバラ。

 

シード権を獲得している人間も居れば、

敗者復活戦から挑戦しなければ、

ならない人もわんさかいる。

お金で勝利を買おうとする人だっている。

 

でも人生という大会で

優勝にこだわらなくても良いと思う。

勝ち進むだけが正解じゃない。

上に登りつめるだけが

人生の全てでは無い。

 

試合に負け負けだったとしても、

途中棄権になったとしても、

その試合の過程で、

どれだけの人を勇気付けられたか、

どれだけの人を感動させられたか、

どれだけの人の価値観を好転させられたか、

も大切な観点の一つだと私は思う。

 

結果じゃなくて、努力の過程から生まれる

副産物・付随物の方が私は大切だと思う。

 

優勝して自分だけが満足に浸っていても、

実は蓋を開けみると周りには何一つ、

感動や喜び等を与えられていない人生なんて、

生きた証にも残らないし、何の価値も無い。

 

せっかく生きるんだから、

歴史の教科書の1pに刻まれはしなくても、

良い意味で自分が生きた証を残したい。

 

後悔の無い人生なんてきっと無いんだから、

あれも失敗したし…、

あれもやっちゃった…けど、

何かたった一つだけでも、

世のため人のためになった事があって、

良かったなぁって思って、最期は死にたい。

 

価値観は人それぞれだけど、

私はそう思うのです。