最近FBをやめた。
いわゆるSNS断捨離をした。
人との繋がりが無くなるのに不安で、
なんとなーく続けていたFBだが、
社会人になって自分から投稿する事は無く、
基本閲覧専用になっていた。
でも実際は、
FBでの人との繋がりはとても希薄だった。
あまり親しくない遠い友達からの
有難くないお伺い・頼み事メールや、
ただただ人の結婚や出産・育児の
ニュースを拝む日々。
「結婚しました!」
「妊娠しました!」
「出産しました!」
「子供が●歳になりました!」
この何気ない毎日の知り合いからの投稿が
ちりつもで、自分の心を疲弊させた。
パートナーがいない自分、
結婚していない自分、
出産していない自分、
育児をしていない自分。
どうしても自分と比較してしまう。
そんな日々が嫌になり、
勇気を持ってFBを退会した。
しかし退会しても大切な人との関わりは、
途絶えなかったし、無くならなかった。
「SNSを退会して無くなる関係性は、
最初から必要なかった関係性」
だったのかも知れない。
SNSを止めてから、
不思議と周りの事が全然気にならなくなった。
逆に周りの事がどーでも良くなったから、
SNSを退会出来たのかも…知れない。
「鶏が先か、卵が先か」の鶏卵問題のように、
実際の所は正直分からないが…。
1つ言える事としては、その頃には、
理想の自分に諦めがついて、
現実の自分を受け入れ始めていって、
他人のアベレージや情報を
判断軸として必要としなくなった。
「●●ちゃん、結婚するんだってー!」
って言われても、
焦る事もなく、妬み嫉みも無く、
「へー、そうなんだ!
(結婚するもしないもその人の人生やろー!)」
でスルー出来るようになった。
「いつ結婚するのー?」
って言われても、
「さぁ、いつだろうねぇー
(そんな事もうどーでもええわぁ!)」
って軽くあしらえるようになった。
人の色々に目を向ける時間が段々と減ると、
自分自身と向き合う時間が増えていく。
FBで人の出来事を閲覧していた時間を
自分は今どうしたいのか、
自分は明日何がしたいのか、
自分は将来どうなりたいのか、
自分にとっての幸せはなんなのか、
自分を研ぎ澄ます時間に使うようになる。
今抱えているモノを
思い切って捨ててみると、
本当に必要な事が見えてくる。
捨てる事は勇気のいる事だけど、
今本当に必要としている事は、
何なのかが自ずと見えてくる。
いっぱい抱えていると、
便利だけど、時に不自由だ。
今必要だと思っている事を疑って、
身軽になってみるのもアリかも知れない。
山に登る時は、
必要最低限の荷物でというように。
便利そうに見えて、
実は全然使わなかったりして、
自分の重荷になっているモノって、
意外と周りにあるよね。