アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

当たり前が当たり前じゃない事が当たり前。

 

当たり前が当たり前じゃない件。

 

♪当たり前ー、

♪当たり前ー、

♪当たり前体操。

♪チャンチャン。

 

幼稚園の頃は、よく親に

「どうしてママは結婚したの?」

「どうしてみんな仕事に行くの?」

「どうして空から水が落ちるの?」

「どうして犬は足が4本あるの?」

なんて、純粋無垢に聞いていたけれど、

大人になるにつれて、色々な事が

「当たり前」で当然なモノに変わった。

 

何も不思議に感じなくなった。

何も疑問に思わなくなった。

何もなんとも感じなくなった。

 

それは所謂、脳の停止、

思考の麻痺症状に近い危険な状態だ。

好奇心を失い、疑う事をやめ、

考える事を放棄した事に等しい。

 

 

「当たり前」という名の「常識」は、

その時代の固定観念に過ぎない。

 

天動説が当たり前だった時代から、

地動説が当たり前になったように。

 

離婚はタブーだった時代から、

離婚は良くある話の時代になったように。

 

「常識」だと思った事がいずれ、

「非常識」になる事がある。

 

アインシュタインは、

「常識とは、18歳までにみにつけた

偏見のコレクションのことをいう。」

と言っていた。

 

デカルトは、

「常識とは、この世で最も広く

分配されている日用品である。」

と言う。

 

ヴォルテールは、

「偏見は、愚か者たちが使う理屈である。」

と語る。

 

スティーブ・ジョブズは、

「常識?あ~、

凡人が仲良く生きるためのルールか!」
と言い放つ。

 

「常識」は、その時点の多数派の

一見解にしか過ぎない。

「非常識」は、未来の多数派の

常識になるかも知れない。

 

 

最近、ふと思った事がある。

クラシックバレエを習う男性。

ピンク色のランドセルを買う男の子。

スカートをはく男性。

 

それについて

「常識的に考えて」「普通に考えて」

の枕詞をそえて、

「変だ」「変わってる」という人がいる。

 

しかしそう思う事自体が、

そう思うその人自身が、

「変であるかもしれない」事に、

気付かないのだろうか…?

 

なぜバレエを男性が習ってはいけないのか。

なぜピンク色は女性の色と決めつけるのか。

なぜ女性はズボンを平気で履くのに、

男性がスカートを履いてはならぬのか…。

 

「変だ!」という人は、この質問に対して、

納得し得る回答を出してくれるだろうか…。

 

ニュースでたまに

「恋愛しない草食男子が急増!」

「未婚率がまた上昇!大丈夫か?」

みたいな恋愛・結婚はして当たり前前提で

話が勝手に進んでいくけれど、

して当たり前だと誤解した時代が過ぎ去り、

するもしないも自由な本来の姿の時代が、

到来しただけの話では無いだろうか…。

 

「常識」が「非常識」に移行しつつあり、

「非常識」が「常識」になりつつある

過渡期みたいなものだろうか…。

 

当たり前が、

当たり前じゃない事が

当たり前。

 

この世の中から、世界から、

「常識」や「偏見」なんて

クソみたいな単語が

なくなればいいのになぁ。