アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

外国人というダブルマイノリティー

 

私の親は、外国人だ。

だから私も日本で生まれたが、外国人だ。

 

島国の日本で暮らすと、

外国人というだけで、

疎外感を常に感じざる終えない。

 

悪口やいじめられる時は、

「外国に帰れー!」

「●●●(母国の調味料)臭いんだよ!」

と外国人をネタにされることがあった。

 

そう。

私は、セクシャリティーだけでは無く、

ナショナリティーもマイノリティーなのだ。

 

ダブルマイノリティーなので、

世間からの排他感は幼い頃より強く感じた。

 

マジョリティーでもなく、

マイノリティーよりもマイノリティーな、

ダブルマイノリティーだから、

世の中から疎外感をさらに強く感じた。

 

しかし幸いにも、ナショナリティーは、

義務教育の過程では、周りからは差別的で、

奇異な目で見られる事が多かったが、

社会に出てからは逆に強みに変わった。

 

当たり前だけど、

その国の言語を話せる語学力と、

その国の国民性や風土等を理解しているので、

周りからはとても重宝されている。

 

そして日本で生まれ、

日本で育った日本人より、

日本で生まれ、

日本で育った外国人にしか分からない

感性や観点が日々仕事で活かされている。

ナショナリティーが活かされる仕事に、

敢えて就いた事もありますが)

 

しかし、

セクシャリティーも、

ナショナリティーも、

マイノリティーなのは、

正直想像以上に辛い。

 

自分が変わり者過ぎて、

普通のメンタルの人間なら、

生きる意味が無いから死にたいとか、

自殺を図ろうとすると思う。

 

でも私は、絶対に死を選ばない。

 

何故ならダブルマイノリティーの私が、

生まれたのには、訳があると思うから。

ダブルマイノリティーの私は、

生き続ける意味があると思うから。

 

ダブルマイノリティーの私だからこそ、

見える事、分かる事がきっとあるはず。

ダブルマイノリティーの私だからこそ、

語れる事、伝えられる事が、きっとあるはず。

 

ダブルマイノリティーの私にだからこそ、

同じような境遇の人に寄り添える事や、

同じ位の苦しみや痛みを抱える

誰かを救える事があるはず。

 

 

強く生きるとは、

暗闇の中で、いかに多くの光を

見つけられるかだ。

 

私は、

ダブルマイノリティーという暗闇の中で、

生きる希望の光を無理矢理にでも見つけて、

今も力強く生き続けている。

 

人生は、

どう自分が意味づけをするかで、

全てが決まる。

 

スパルタ的だけど、

生きる意味は、

自分で見つけ出すものなのかもしれない。