アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

父親不在の幼少期、両親不在になった学生時代

 

学生時代、

友達の周りに両親が揃っているのは、

当たり前だった。

 

働いている父親がいて、

専業主婦かパートの母親がいる。

それが私の周りの普通の家族構成でした。

 

私は幼少期に父親を失い、

母親ともまだ学生の頃で、

社会に出る前に、

深い訳あって離散しました。

 

友人同士の会話の節々で、

両親の話題は出てくるし、

自分の両親の事も聞かれたりする事も多く、

私は周りに気を遣わせたくなかったから、

親がいる想定で上手く会話を合わせてたり

してやり過ごしてました。

 

いつしかその癖がほぼ習慣にまでなりまして、

いかにも両親健在のような会話が出来ます。

※言ってしまえばただの嘘つきですが、

その当時はまだ若かったし、必要な嘘

だったと自分は思ってます。(すみません)

 

学生生活を終えた後は、

ほぼ一文無しで社会に出ました。

貯金はゼロ。通帳はまっさら。

仕送りなんてものはございません。

 

ダンボール5つ程度の荷物と、

布団一式だけを抱えて、

学生時代にアルバイトで

稼いだお金を片手に握りしめて、

四畳半暮らしで社会人デビューしました。

 

あの頃はまぁー兎に角必死でした。

生きねば、稼がねば、自立せねばの一心で、

気が狂う手前まで無心に働きました。

 

幸い勤め先は、一年目から、

バリバリに稼げる環境だったし、

給料もきちんと出る会社だったので、

贅沢をしない質素な暮らしを続けていたら、

社会人二年目の後半からは、

心とお金にも徐々に余裕が生まれました。

 

また、周りの人脈にも割と恵まれて、

不運にも両親の支えはないけれど、

両親の変わりになってくれる位の

親友や同僚や上司が

決して多くはありませんでしたが、

数人か出来ました。

 

今思えば、人間って

なんとかなるもんだなぁと。

(しみじみ)

 

むしろ強烈な逆風が生きる理由や、

パワーにもなるんだなぁと思います。

窮地に追い込まれていたからこそ、

あそこまで頑張れたと感じます。

 

「若い時の苦労は買ってでもせよ!」

という言葉がありますが、

買ってでも…とまではいきませんが、

あの苦労がまだ若い時で良かったなぁ

とも思います。

 

若い頃なら、若さと気力と体力で

大半の事は乗り越えられる気がします。

 

私が常に思うのは、

過去の苦難を出来ない口実・理由

にはしたくないということ。

 

私の精神的支柱のアドラー氏も、

人はやりたくない理由を正当化するために、

都合の良い過去の不幸を引き出してくる

というような事を語っています。

(詳しくは、アドラー

目的論・原因論の部分をお読み下さい。)

 

「過去があったから、出来ない・やれない」

ではなく、

「過去があったけど、出来る・やれる」

そんな前向きな思考方法でいる事を

私は常に心がけています。

 

正直ここまでのお話は、

私の今までの苦難の歩みの

ほんの一部ではございますが、

今、何か辛い事に悩んでいたり、

苦しんでる全国の皆さん!

 

こんな私でもなんとか生きていますので、

なんくるないさぁ」の気楽な気持ちで、

毎日をエンジョイしてお過ごし下さい。

 

生きてるだけまるもうけ!

(BY明石家さんま

ですから。 あははー!