アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

可哀想って言わないで、思わないで。

この前の飲み会で、ナショナリティーとか、

セクシャリティーとか諸々の多様性について、

議論する機会があって、

そこで「無性愛」の話題がぽんと出た。

 

その場にいた1人の女性が、

憐れむような表情でこう言った。

 

「世の中には、

人を好きになれない人間がいるらしい…」

 

うん。

彼女の発言は、全く悪気は無かった。

 

きっと彼女の中では、

キュンキュンと恋愛するのが当たり前で、

人に恋愛感情を抱かない人は、

ちょっと人生損してる、

可愛そうだと思ったのだろう。

 

その後、話は広がり、

今度は「富と貧困」の話になった。

 

そこでも彼女はこう言った。

 

「水を飲むのも一苦労の貧困な彼等が

とても可愛そうに見えた」

 

そこで私は、彼女にこう返してみた。

 

「もしかしたら彼等は逆に、あなたを見て、

時間と労力をかけて、井戸からくんで飲む

水の美味しさを知らないなんて、可愛そう!

って思っていたりするかもですね。笑」

 

さらに私は続けて、こう話した。

 

「先進国と言われる我々のように、

簡単に綺麗な水が飲めた方が良いというのは、

貴方の価値観でしかない。」

 

「彼等にもきっと彼等の価値観があり、

彼等は蛇口をひねればすぐに出てくる人口水に

価値を置いていないかも知れない。」

 

それを聞いた彼女の表情は、
ハッとしていた。

 

そう。

「井戸から時間と労力をかけてくんできた水」

「蛇口をひねれば簡単に出てくる水」

どっちがより哀れで、人生損してるかなんて、

誰にも決めつける事なんて出来ない。

 

もしかしたら、

「蛇口をひねれば簡単に出てくる水」

ばかり飲んで、水の存在の有り難みや、

自然から湧き出た水の美味しさを

忘れた我々こそが、実は哀れで、

人生を損してるのかも知れない。

 

この話は、セクシャルマイノリティーにも

通ずるものがある。

 

ストレートな人間からしたら、

恋愛感情のない無性愛者や、

性行為をしない非性愛者は、

人生損してるって思うかも知れない。

 

けど、非性愛者の私は真面目に、

一時的な男女の感情や、性欲に左右されず、

人とプラトニックな愛の関係性を築けるのは、

人生得してるかもって思ってる。

 

私は非性愛で満足しているのです。

非性愛で良かったと思っているのです。

 

だから、非性愛者の私や、無性愛者の誰かを、
奇異な目、可愛そうな目で見ないでほしい。

 

他人の目からしたら、

私達は異質で、哀れな人間に見えるんだ…と、

間接的に感じ取ってしまうから。

 

哀れだと誰かから思われた瞬間に、

自分が哀れの身になってしまうから。

 

他人から自分が哀れと思われる事自体が、

実は1番の哀れなのです。

 

拝読頂きありがとうございました。