アラサー女のノンセクブログ

非性愛のアラサー女です。

真の友人・パートナーとは?

今日はセクシャルマイノリティーの話というよりは人生・哲学の話ですが「真の友人・パートナー」について考察したいと思います。

 

「あなたは今、何人の友達がいますか?」

そう人に問いかけると

「FBの友達は、250人かなー」とか、

「飲み友達は、6・7人くらいかな?」とか、

大小様々な回答が返って来るかと思います。

 

ではここで、質問の仕方を少し変えます。

 

「あなたが不治の病になった時、心身共に支えてくれる友達は何人いますか?」

こう問いかけるた時に、最初の質問の友人の人数と差が大きければ大きいほど、普段どれだけ浅ーく広ーく人と関わっているかが明確になります。

 

私は個人的に交友関係は「量より質」だと思っている人間ですから、この友人の数に差がありすぎる人間は、正直言って性に合わないです。

→ちょっと言い方きついかな。

 

ここで1つ、有難い言葉を取り上げます。

 

『成幸の法則』2016.9.21

うまくいっているときは、周りに人がたくさん集まる。だが、一番大切なのは、どん底のとき、誰がそばにいてくれたかや。 <野村克也>

 

さすがプロ野球という人生の荒波、激動を生き抜いた人の言う事がちげーなぁ、と思いましたわ。

 

そうなんですよ。

誰でも調子良い時は、遊んでくれるんですよ。側にいてくれるんですよ。「調子の良い時は」

 

肝心なのは「調子が悪い時」

大体、薄ーい関係で仕上がった友達は、自分が調子悪い時や、人生の崖っぷちに立たされた時に「大丈夫?心配だねー。」とか表面上の言葉だけ残して、ささっーとフェードアウトしていきますよ。

 

 「調子が悪い時」って、友人と言うざっくりしたボウルの中から誰が真の友人がわかる「ふるい」になるんですよね。

 

で、シャカシャカふるいにかけて、そこに残った人が「真の友人、将来のパートナー候補」なんですよ。

 

ただ、ふるいから漏れた友人を責めてはいけませんよ?悪いのは、そんな薄っぺらい交友関係を続けてきた「あなた」なんですから。

 

私も一時期、酷い崖っぷちに立たされた事が過去にありました。その時、濃淡はっきり、くっきり「真の友人」か「ただの友達」かが見えました。

 

「こいつマブダチだと思ってたけど、こんな非情・薄情だったのか!」と思ったり「そんなに仲良しだと思ってなかったのに、こんな時に手を差し伸べてくれるんか!」と思ったり、正常時には見られないリアルな景色が見えました。

 

それが、私は友人との付き合い方・関わり方を改めるきっかけになりました。

 

 先生ー!

でも崖っぷちの瀬戸際なんて、人生1回あるか、ないかじゃないですかー。

もっと手っ取り早く見極める方法ってありますか?

 

こんな声が聞こえて来そうですね。

ご安心を。

ありますよ、簡単にふるいにかける方法。

 

それは「敢えて自分の弱みを曝け出す」です。

 

例えば「私、鬱だったんです。」とか、

「私の親、離婚しているんです。」とか、

「僕、実はゲイなんです。」とかね。

 

そう打ち明けた時に相手から、まず、

「そうだったんだ。大変だったね…」

の共感の言葉や、

「打ち明けてくれて、嬉しい、ありがとう」

の感謝の気持ちが5秒以内に返ってこなかったら、大体アウトー!です。

 

そんで更に、言葉だけじゃなく、その後の行動や態度が良い意味で変化してきたり、こちらが求める必要なサポートを1回や2回の単発じゃなしに、継続的にしてくれたら、それこそ「ガチのマブダチ」ですわ。

 

言葉ならいくらでも並べられますからね。

でも行動って、本気でそう思ってないと中々腰が重くて出来ないですから。

信用できるのは「言葉じゃなくて行動」です。

 

長くなったので、おさらいですが、

「真の友人・パートナー」

「調子の悪い時に、事実を話しても側から離れる事なく、且つ、行動を伴ったサポートを継続的にしてくれる人」

です。 

 

私はそんな友達が今2人います。 

少ないかもだけど、2人で十分。

その人を心の底からこれからも大切にして行きます。

 

皆さんは、何人いますか?