今日はセクシャルマイノリティーの話というよりは人生・哲学の話ですが「真の友人・パートナー」について考察したいと思います。
「あなたは今、何人の友達がいますか?」
そう人に問いかけると
「FBの友達は、250人かなー」とか、
「飲み友達は、6・7人くらいかな?」とか、
大小様々な回答が返って来るかと思います。
ではここで、質問の仕方を少し変えます。
「あなたが不治の病になった時、心身共に支えてくれる友達は何人いますか?」
こう問いかけるた時に、最初の質問の友人の人数と差が大きければ大きいほど、普段どれだけ浅ーく広ーく人と関わっているかが明確になります。
私は個人的に交友関係は「量より質」だと思っている人間ですから、この友人の数に差がありすぎる人間は、正直言って性に合わないです。
→ちょっと言い方きついかな。
ここで1つ、有難い言葉を取り上げます。
『成幸の法則』2016.9.21
うまくいっているときは、周りに人がたくさん集まる。だが、一番大切なのは、どん底のとき、誰がそばにいてくれたかや。 <野村克也>
さすがプロ野球という人生の荒波、激動を生き抜いた人の言う事がちげーなぁ、と思いましたわ。
そうなんですよ。
誰でも調子良い時は、遊んでくれるんですよ。側にいてくれるんですよ。「調子の良い時は」
肝心なのは「調子が悪い時」
大体、薄ーい関係で仕上がった友達は、自分が調子悪い時や、人生の崖っぷちに立たされた時に「大丈夫?心配だねー。」とか表面上の言葉だけ残して、ささっーとフェードアウトしていきますよ。
「調子が悪い時」って、友人と言うざっくりしたボウルの中から誰が真の友人がわかる「ふるい」になるんですよね。
で、シャカシャカふるいにかけて、そこに残った人が「真の友人、将来のパートナー候補」なんですよ。
ただ、ふるいから漏れた友人を責めてはいけませんよ?悪いのは、そんな薄っぺらい交友関係を続けてきた「あなた」なんですから。
私も一時期、酷い崖っぷちに立たされた事が過去にありました。その時、濃淡はっきり、くっきり「真の友人」か「ただの友達」かが見えました。
「こいつマブダチだと思ってたけど、こんな非情・薄情だったのか!」と思ったり「そんなに仲良しだと思ってなかったのに、こんな時に手を差し伸べてくれるんか!」と思ったり、正常時には見られないリアルな景色が見えました。
それが、私は友人との付き合い方・関わり方を改めるきっかけになりました。
先生ー!
でも崖っぷちの瀬戸際なんて、人生1回あるか、ないかじゃないですかー。
もっと手っ取り早く見極める方法ってありますか?
こんな声が聞こえて来そうですね。
ご安心を。
ありますよ、簡単にふるいにかける方法。
それは「敢えて自分の弱みを曝け出す」です。
例えば「私、鬱だったんです。」とか、
「私の親、離婚しているんです。」とか、
「僕、実はゲイなんです。」とかね。
そう打ち明けた時に相手から、まず、
「そうだったんだ。大変だったね…」
の共感の言葉や、
「打ち明けてくれて、嬉しい、ありがとう」
の感謝の気持ちが5秒以内に返ってこなかったら、大体アウトー!です。
そんで更に、言葉だけじゃなく、その後の行動や態度が良い意味で変化してきたり、こちらが求める必要なサポートを1回や2回の単発じゃなしに、継続的にしてくれたら、それこそ「ガチのマブダチ」ですわ。
言葉ならいくらでも並べられますからね。
でも行動って、本気でそう思ってないと中々腰が重くて出来ないですから。
信用できるのは「言葉じゃなくて行動」です。
長くなったので、おさらいですが、
「真の友人・パートナー」
=
「調子の悪い時に、事実を話しても側から離れる事なく、且つ、行動を伴ったサポートを継続的にしてくれる人」
です。
私はそんな友達が今2人います。
少ないかもだけど、2人で十分。
その人を心の底からこれからも大切にして行きます。
皆さんは、何人いますか?