今日は、
セクシャルマイノリティーから少し外れた
「本質を見極める力を養う事は大切だ」
というお話をしようかと思います。
私は常に物事の本質を捉えたいと考えて、
日々を過ごしています。
今回は、募金活動を例に挙げてみます。
募金活動自体を否定するつもりはありません。
何か行動を起こそう!と、募金する事は、
何もしないよりは、良い事だと思います。
また、内容によっては募金活動が、
とても素晴らしい社会貢献に繋がる場合も
あるかと思います。
ただ、例えば、
フ●ストファッションのお店が、
「世界の貧困国のための募金を!」
という募金活動を実施していたら、
私は恐らく募金はしないでしょう。
(「●」は「ァ」に置き換えてお読み下さい。)
なぜなら、
フ●ストファッションの服のように、
安価なものを大量に作るためには、
貧困国で、安い労働賃金で、沢山の人を雇い、
短時間で大量の服を作る必要があるからです。
つまり「フ●ストファッション」とは、
「富裕国が貧困国を利用した恩恵」なのです。
「フ●ストファッションが存在する」
という事は、
「発展途上国が存在している」
という事です。
そんなフ●ストファッションの企業が、
「世界の貧困国のための募金を!」
という慈善活動をしていたとしたら、
世の中のどれだけの人々が
その矛盾に気づけるでしょうか。
きっと物事の本質を見極めようとしない人は、
フ●ストファッションの服を大量に買い込み、
最後に1円か、10円か、100円かを募金して、
自分は「世の為、人の為に役立った!」と、
自己満足に浸る事でしょう。
しかし、
物事の本質を見極めようとしている人は、
そもそもフ●ストファッション
のような服を購入せず、
それなりの職人が手間暇かけて作った、
それなりの値段がする服を、
それなりのお店で購入する事でしょう。
(ここでは家庭の経済状況については、
考慮に入れていません。)
つまり、
フ●ストファッションを不買する事が、
実は、貧困国に対する
1番の慈善活動だったりするのです。
このように、
物事の本質を見極める力を養う事は、
「誰かの為に何をする事が本当の優しさか」
を考える力に繋がります。
「誰かの為に何をする事が本当の優しさか」
を見極められる人は、
「自分の為に何をする事が本当の幸せか」
も見極められる人。
「誰かの為に何をする事が本当の優しさか」
を見極められない人は、
「自分の為に何をする事が本当の幸せか」
が見極められない人。
本質を見極める力を養う事が出来れば、
マイノリティーがマジョリティーに
流されやすいこの世の中で、
「自分の為に何をする事が本当の幸せか」
を見つけ出す事が出来るはず。
「自分の為に何をする事が本当の幸せか」
を自分の力で見つけ出したい人は、
「世の中の本質を見極める力を養う事」
が大切かも知れません。